この写真をみていただきたい。私がインドネシアのウジュンパンダン市(マカッサル)で買い求めた古伊万里です。欠けもあるし、色落ちもしていてとても上等の古伊万里とはいえないが、染錦手という種類のものです。
まず、古伊万里とは何かということを説明しなければ、何のことやらおわかりにならないでしょうから、掻い摘んでお話いたします。
古伊万里とは、鍋島系、柿右衛門系を除く、幕末以前のすべての有田焼きのことです。(鍋島系、柿右衛門系については、”日本の陶磁器の話”を参照してください。)それでは何故”古伊万里”というのか?古有田ではないのか?という疑問が出てくるでしょうが、それは、有田焼の多くが近隣の伊万里津から海路で国内や東南アジア、ヨーロッパへ輸出されたために伊万里の名前が使われるようになったようです。
古伊万里は1650年頃から、1750年頃までの100年間、かなりの数量が輸出されています。これには、時代の背景があります。安土桃山時代から、ヨーロッパの各国は、競ってアジアに進出しています。先陣を切ったのが、スペイン、ポルトガル、オランダで、中でもオランダは、東インド会社をインドネシアのバタビアに設立して、貿易を拡大していました。いろいろなものを取引していましたが、特に明朝の磁器食器は、大量にヨーロッパへ輸出されています。
しかし、江戸時代初期、明朝が滅び、清朝が中国を制覇しました。清朝は、江戸幕府と同様、ヨーロッパ各国の進出に対して、鎖国で対抗し、磁器食器の輸出を禁止してしまいました。それで、オランダは当時江戸幕府より貿易の許可を得ていましたから、伊万里津から長崎を経て、古伊万里を大量に輸出するようになったのです。しかし、清朝の磁器食器の輸出再開とマイセン(ドイツ)、デフルト(オランダ)、ウースター(イギリス)等で、磁器食器の生産がされるようになり、古伊万里の輸出は激減し、国内向けがほとんどになりました。
これで、何故古伊万里が東南アジアに存在するのかおわかりいただけたと思いますが、輸出されたものは、日用品が多く、皿、椀、コップ等西洋人が普段使っていたもので、芸術性が高いものは少なかったと思われます。しかしながら、東インド会社の社標(VOC)入りの皿等は、かなり厳しい規格で作られており、現存するものは高値で取引されています。

VOCロゴ入りの皿であるが、品質が悪く、後でロゴを加えた可能性がある。(バリ島で購入。)
下の朱印船貿易の航路の図を見てもらいたい。中学校の教科書より引用しましたが、バタビアとは、ジャカルタ(オランダ東インド会社所在地)で、マカッサルとあるのが、ウジュンパンダンなのです。古伊万里が、ウジュンパンダンにあっても不思議ではない理由がおわかりいただけたと思います。

この古伊万里との出会いが、私の骨董収集のはじめの一歩だったわけですが、その後は、日本のものではなく、中国の磁器を中心にお宝収集をしています。